私たちのこと
マイアーノ農場の歴史
マイアーノという地域にある我々の農場は、フィレンツェの町からたった数キロのところにあります。連綿と続くオリーブ畑の緑に覆われた緩やかな丘陵地帯。この傾斜面は欧州最大の森林公園へと連なります。森の入り口には見事な石切場が姿を現します。岩盤の切り立つ様子、砂岩石壁の雄大さ、そこはかつての採石場で、フィレンツェ歴史地区にみられるいくつかの重要建造物や貴族の館は、正にここで採掘された砂岩のマテリアルを利用し建設されました。このような歴史的に重要な足跡を残す地域にマイアーノ農場は位置しており、悠久の歴史を物語る森林公園と、トスカーナ地方特有の丘陵地帯の見事な大自然の静寂の中に、訪問者は身を沈めることができます。農園母屋その宿泊施設がある場所は、かつて僧院や集落があった場所。修復をしながら歴史的足跡を守り続けています。現在、マイアーノ農場は、オリーブオイル生産を主体とする農産物、家畜、養蜂農家を経営しています。多種にわたる賑やかな動物たちがのびのびと育ち、歴史のエコーがこだます我々の農場は、フィレンツェ市隣のフィエーゾレ市、フィレンツェの街を取り囲む丘の麓にあります。歴史と自然がおりなす絶景に囲まれた農場で、皆様のお越しをお待ち申し上げております。
中世からルネサンス時代
マイアーノ農場を訪れると、中世·ルネサンス時代の芸術家たちに大きなインスピレーションを与えた場所であることに気がつきます。園内を散策すると、フィレンツェの地でルネサンス全盛期を築いたメディチ家の物語やその足跡がある地域であることがわかるのです。なんと、レオナルド·ダ·ビンチがあの有名な飛行実験を行ったのは、この地域のチェチェリ山という名の山の絶壁からでした。農場はその麓のマイアーノと呼ばれた小さな村の跡地に位置します。農場園内は、中世文学界のボッカッチョ、巨匠ミケランジェロ、芸術家兄弟ベネデットとジュリアーノ·ダ·マイアーノら多くの芸術家、建築家、彫刻家、技術者が縁した地域です。園内森林公園にあるかつての採石場は由緒ある歴史的スポットであり、人工湖水が広がるその上に今もその岩盤の悠然たる姿を見ていけます。ルネサンス全盛期、メディチ家の命により、町中では「君主の礼拝堂」やサン·ロレンツォ教会の一部が建設されましたが、砂岩石のマテリアルはこの石切場から採掘されました。同じくミケランジェロの設計で知られる「ラウレンツィアーナ図書館」の階段も同様です。ルネサンス期ならではの見事な柱の建築空間を完成させたこれらの建築物にまつわるエピソードから、園内の湖は「石柱の池」と名付けられました。農場のある長閑な田舎風景の中に、実はルネサンス全盛期を築いたフィレンツェの町との揺るがない絆があるのです。
1800年代 英国人男爵の偉業
1900年代から今日へ
ジョン・テンプル・リーダー男爵がマイアーノの地に捧げた愛と情熱は、彼の没後、高名な外科医、テオドーロ・ストーリ氏とその妻、フィレンツェ名門貴族コルシーニ家の令嬢エリザベッタにより受け継がれました。彼らは更なる植林と農業の拡充に力を注ぎました。その後、妻エリザベッタの姪ルクレツィア・コルシーニが、夫ジャコモ・ミアリ・フルチスと共にマイアーノ農場を大きく発展させることに寄与。ミアリ・フルチス伯爵は、ヴェネツィア地方の貴族で農業近代化の先駆者的な存在として活躍した人物でした。今日マイアーノ農場には2万本を超えるオリーブの木が根を張り、最上級のエクストラ・ヴァージン・オリーブオイルで知られる「ラウデミオ」(Laudemio) を生産しています。